2008年11月12日水曜日

唐松岳

9月27日、笠ヶ岳、御嶽とメジャーな山を巡って調子付いてきた頃、予ねてから憧れていた五竜岳に登りたいと思い、唐松岳~五竜岳の縦走に出かけました。例によって金曜夜に高速を使って白馬のスキー駐車場に夜1時半着。観光バスと一台の乗用車以外誰も居なく、週末というのに、あまり人気ないんだなと思いながら仮眠しました。

朝方強烈な寒さを感じ起きてみると、山肌が白くなっているのに気づきました。ほかに登山の準備をしている人達と話をして、「どうも雪みたいですね。どちらまでいかれます?」というので、「唐松~五竜って考えていたんですが…」と答えると、みんなも同じコースを考えていて、果たしてどの辺りまで積雪しているのか分からないため、みんな躊躇っていました。


しかし、八方尾根は比較的緩い登山道だし、少々の積雪ならば唐松岳までは何とか登れるだろうと思い、ゴンドラ乗り場まで向かいました。


ゴンドラの乗り場まで来ると、雪だというのにも関らず、大勢の登山客で行列ができていました。予定通りにゴンドラが動き始め、2回のリフトを乗り継いで、八方池山山荘に8時半に到着。積雪はなく、思ったほどそんなに寒くもないので、八方池目指しどんどん登って行きます。30分ほどで八方池が見えてきました。



不帰の瞼は雪化粧していて、尾根は明らかに寒そうな色合いでした。八方池には寄らず、登山道を登っていくとダケカンバの林になります。このあたりで5センチほどの雪が積もっていました。風は林で守られていてそんなに感じなかったんですが、丸山のケルンに出たあたりから強烈な寒風が吹いて、堪らずフリースの上から合羽を着ました。左手を見ても遠見尾根の途中から厚い雲が覆っていて、鹿島槍や五竜の姿が見えず落胆しました…。


寒さに耐えながら岩場のクサリ場を巻くと、以外に早く目の前に唐松岳山荘が現れました。しかし尾根に着くなりそれまで以上の強風が吹き荒れていて、冬山にきたような状態でした。

山荘は休憩に300円要るとのことだったので、白くて全く見えませんでしたがとりあえず唐松の山頂を目指して登りました。

完全な雪道で、登山ビキナーの自分がこんな時にきていいものか不安に思いましたが、他の登山客も割りと多かったので、勢いで山頂に到着。




山頂は黒部の谷から吹き上げてくる強風で、凍えそうでしたが、時折見せる剣と立山がとても近く見えて感動しました。白い雲の向こうに薄っすらと五竜の雄姿が見えました。しかし、この寒さだし、唐松山荘に泊まって翌日まで待っても、降った雪が氷になってさらに危険になり、縦走はおろか唐松から下りられなくなるかも…と考えて、もうこの頃はさすがに縦走は無理だと悟りました。

山荘に戻り、300円を払って昼食休憩します。12時過ぎ、目の前の牛首の岩場を見ながら下山開始。山肌は紅葉が本格的になる手前で、曇り空でなければ映えて見えただろうに残念でした。


急激な気温の変化にちょっと熱っぽくなりながらも、帰りは八方池によってベンチに座り、何とか少しでも雲が晴れて白馬三山の一つでも眺められないかなと期待したけどどうも無理っぽかったので、遠出して折角きた名残おしい気持ちを引きずりながらリフト乗り場まで下りてきました。3時半頃駐車場に戻って来て、近くの銭湯で体を温めました。



帰りは何度も車から五竜や鹿島槍の方を見ながら帰ってきましたが、終始その姿を拝むことは出来ませんでした。長野道に乗ったら急にどっと疲れがでて、梓川SAで眠ってしまいました。起きると夜11時。こんな時間でまだ松本にいる自分にすごく哀しい気持ちになりながら高速を帰りました。帰宅したのは午前2時。

しかし、今回の撤退でますます憧れが募った五竜岳。いつか、五竜から鹿島槍、爺が岳を縦走してみたいと思っています。途中のキレット小屋も写真で見てすごいところに建っているのでとても惹かれるポイントです。

鳳凰三山

鳳凰三山は、山梨県にある地蔵岳(2764m)、観音岳(2840m)、薬師岳(2780m)の三つの山で構成される100名山の一つに数えられる名峰です。登山口までのアプローチが大変な南アルプスの中でも最も容易にアクセスできる山で、比較的早く小屋終いする南アルプスの中でも、遅く(通年)まで営業していて、南アルプスのビキナー的な存在として人気があります。

10月4日、5日山頂付近の紅葉が期待されるこの時期に青木鉱泉のドンドコ沢から登りました。中央高速の八ヶ岳PAで仮眠して目覚めると、この年の山登りで一番というくらいの快晴で、朝焼けに染まる甲斐駒と、地蔵岳のオベリスクが小さくもはっきりと見え、テンションが上がりました。
ドンドコ沢の登りは南アルプスでも屈指の急登と言われていましたが、自分的にはその前持った知識があれば、途中のいくつかの大きな滝を眺めながらの道なので、きつくても嫌気がさすような登りでははなかったです。写真のように、最初九十九折での登り道は落ちたら転げ落ちていきそうな急斜面でした。南精進の滝や、白糸の滝、最後の五色の滝は落差も大きく、滝つぼまで下りられて、一番豪快な眺めでした。


樹林帯の中なので、滝以外の景色は振り返った奥秩父方面の山くらいしかなく、4時間ほど登りきったところで、ようやく地蔵岳のオベリスクが顔をだしました。



ここまであがってくると寝不足がたたっていつもどおりふらついてきました。薬師岳の山荘を目指すことを考えていましたが、この日は鳳凰小屋で泊まることを決めました。青木鉱泉から4時間30分で鳳凰小屋到着です。疲れていたので小屋で1時間ほど仮眠した後、地蔵岳を往復しました。地蔵岳までは登り1時間、下りは40分ほどでした。オベリスクに手が届きそうになるところで、アリ地獄のような砂場の急斜面が待っています。


オベリスクは岩が花のつぼみみたいに重なっていて、岩の割れ目にはロープがかけられていて、チャレンジャーが頂上にたっていました。5mくらいの高さがあるので安全面を考えると眺めるだけにした方がいいと思います。快晴ではありましたが、仙丈や甲斐駒方面にはガスがかかっていてなかなか顔をだしてくれませんでした。紅葉が始まりだした観音岳はすごく綺麗に見え、その奥には富士の姿が見えました。

小屋に戻ると、大勢の登山客でごった返していました。たくさんの人達と会話し、単独登山をしてきた中で一番しゃべった山小屋でした。次の日、朝食は混むので弁当にしてもらって、それを外で食べ、小屋から観音岳へショートカットする道を登りましたが、この登りが起き掛けの体にきつく、何度も止まって休憩しました。一時間ほどで地蔵岳から続く尾根にでると、朝焼けに染まる地蔵岳と甲斐駒がとても美しかったです。

仙丈や白峰三山、赤石方面もかなりくっきり見え、先週の唐松岳とはうって変わっての大パノラマで、すごく気持ち良かったです。南アルプスの奥には中央アルプス、北北西は後立山方面まで眺められました。もちろん八ヶ岳や、富士山の姿もとても綺麗に眺められ、最高の気分でした。

尾根から30分ほどで、鳳凰三山で一番高い観音岳に着きました。ここでは念入りに時間をかけて写真撮影しました。特に山の写真でよく目にする富士山と薬師岳のショットが眺められ、何度もカメラにおさめますが、カメラの使い方自体全く分かってない自分には、いい被写体があっても全然上手に撮れなくて歯痒い思いをしました。

最後の薬師岳は観音岳から30分弱で下ります。地蔵岳のオベリスクににた岩があり、頂上の標識があるところは広場になっていて、到着時はすごいおおきなザックを持った大勢の若い学生さんがたむろっていました。ここでの景色も最高で、40分くらいいろんな方向の景色を眺めました。薬師岳のすぐ下に薬師小屋があり、尾根沿いに南下して南御室小屋~夜叉神峠に下るルートが今はメジャーらしいですが、青木鉱泉に戻るために、中道コースを帰ります。


中道コースは薬師岳山頂からすぐに灌木帯から樹林帯に入り、倒木が目立つ急な下りをひたすら下っていくツラいコースで、当初こちらを登りのコースに考えていたんですが、やはりドンドコ沢で良かったと思いました。途中御座石という巨大な石があるんですが、めぼしいポイントはそれくらいで、1時間半ほどひらすら下ると、すこし笹の鞍部がありますが、最後沢沿いの林道に出る1時間も九十九折の急な下りです。



こちらはやはり数人の単独者と一組のパーティとすれ違っただけで、あまり人気のない登山道でした。ガイドより50分ほど短縮して林道にでました。林道を下ること30分。沢を横断してドンドコ沢の登山道の方に移り、青木鉱泉に到着したのが丁度お昼の12時。翌日は予備日として有給休暇をとったので、山の余韻に浸りながらゆっくりと帰宅しました。人も多かったけど、ものすごく充実した山登りで、とても印象深い思い出になりました。

2008年11月8日土曜日

御嶽・剣が峰~継子

雨の中濁河から登った8月23日から二週間後の9月6日、天気予報は芳しくなかったが、御嶽に再挑戦することにしました。この日はちょっと寝坊して6時半に自宅を出発。仕方なく高速を使って中津川まで行き、19号から御嶽方面に入り、田の原登山口を目指してスキー場の蛇行した道を急ぎます。

登山口には8時30分に到着。田の原からのコースは写真からもわかるように、鳥居をくぐって一気に頂上を目指す、時間的に一番早く剣が峰に到達できるコースで、そのせいか修験僧の方や日帰りの登山客で賑わう御嶽で一番メジャーなコースです。


8時50分から登山開始。たくさんの登山客がいましたが、道も広いし、大滝の頂上の山荘が見えるので、苦しくても気がまぎれます。振り返るといつまでも田の原の駐車場が見えました。

中盤から岩の道になり、傾斜もきつくなるので、登山客が多いために落石に要注意です。奥の院に行く分岐まであがったところで自分だけ逸れて奥の院の方に向かいました。



地獄谷の際にある奥の院は、 標識も傾いていて、人気がない様子で、ガスってきたので、すぐに剣が峰の方に戻りました。


剣が峰は、写真のように岩と砂の世界で、植物の気配はありません。頂上直下の小屋から立派な階段があり、頂上はちゃんとした神社になっていました。
頂上を後にして、二の池方面に下ります。ガスがとれずに、景色はあまり楽しめませんでしたが、二の池はエメラルド色でとても綺麗でした。ほとりの二の池には小屋の人がいましたが、ひっそり静まり返っていました。
すこし下ったところに新館があり、新館の方には登山客も多く泊まるらしく、個室やお風呂もあるそうです。そこからしばらく下ると、サイの河原に出ます。ケルンがいたるところにおいてあり、遭難碑がありました。目の前に魔利支天の壁があって、すごく静かでとても神秘的でした。
魔利支天の乗越まで登りつめると、女性の笑い声が聞こえます。どこからだろうと思うと、五の池小屋の小屋からでした。乗越から五の池小屋までの下りは傾斜がきついので少し注意しながら下ります。

右手には三の池が見えて、白装束の修験僧が祈祷しているのが見えました。二の池とはちがい、こちらは涸れそうにない深い緑色をした大きな池でした。深さは10m以上あるそうです。

午後1時20分頃二週間ぶり五の池小屋に到着。「あれ?また来たの?」と顔を覚えていてくれました。
この日は、自分の母親くらいの歳の女性二人とその一人の旦那さんの三人組と自分の四人だけでした。夕飯までの間、三人組は魔利支天と三の池へ、自分は継子岳に出かけました。この日も継子岳は誰もいなく静かで、頂上付近にくるとまたまたガスの中で、ガッカリ。少し待ったのですがよくならないのであきらめて帰りました。

夜、三人組と話をしていると、偶然にも自分と同じ街で、しかも笠ヶ岳に同じ日に登っていることも分かってびっくり。「雷鳥みなかった?」というので、多分下りの秩父平から大ノマ岳あたりですれ違っているハズで、奇遇なこともあるんだなとつくづく思いました。
翌日は晴れて、四人で外に出て御来光を眺めました。雲海の中とても感動した瞬間でした。

朝ごはんを食べて、7時に再び剣が峰を目指します。魔利支天の乗越を登っている時、小屋からおばちゃんが手を降ってくれました。この前の時は、小屋の前に魔利支天がはだかっていることさえも見えなくて、小屋の周りが全然把握できませんでした。
この日はガスがときより襲ってきますがまずまずの天気。乗越まで登ったあと、魔利支天に向かいます。途中間違えて、尾根の上を通ってて、「道が無くなってる…」と迷ってしまいましたが。下をみて、巻き道になっているのが分かり、戻って正しい道に復帰。

乗越からは30分ほどで魔利支天に到着します。頂上はなんの変哲もない狭い岩の上で標識もなく、ちょっとガッカリでした。おまけにまたまたガスがかかって景色が眺められず、30分近く粘っても晴れてこないし、ガスで服に水滴が出来てきたので仕方なく戻りました。
サイの河原に下りる道で、団体の方とすれ違った後、暫らく誰もこないサイの河原を歩きました。ほんとに静かで、別世界の気分でした。二の池小屋まで上がった後、一の池の外輪を西側に周ります。外輪は岩だだらけで、高度はないけどやせた道で落石してしまったり、ちょっと緊張する道でした。

外輪を歩いていると、継母岳が目の前に見え、その雄大さに感動しました。ガイドでは正式な登山道は示されておらず、単独で行くのは危険なので眺めるだけでした。そのあと昨日ではガスで見えなかった地獄谷のすごさに驚きながら、剣が峰の神社の裏側から頂上に戻ってきました。
たくさんの登山客が剣が峰を目指してあがってきていました。十分堪能したので、田の原に向かって下山します。登ってくるたくさんの方と話をしながら、12時に田の原に到着しました。19号まで下ってきてきた帰り道、フォレスパ木曽で、充実感と共にお湯に浸かっている頃、ひどい雷雨になり、登っている人は大丈夫なのかと心配でした。

御嶽・継子岳




笠ヶ岳登山でボロボロになった体が1週間ほどで癒えてきた8月23日、この日は御嶽に挑戦することにしました。 予定では、濁河温泉から登り、五の池小屋に宿泊して剣が峰を往復してくるプランでした。

この日は予報で天候は曇りだったのですが、まぁ登山口の濁河まで行って見ようと思い、朝の5時に自宅を出発。関金山線をとおり41号線に出て、小坂から鈴蘭高原方面に向かい、御嶽パノラマコースを通り、7時15分濁河温泉登山口前の駐車場に到着。

雨がパラパラする状態でしたが、合羽を着ての登山は初めてなので、ちょっと期待しつつ、登れるところまで行って見ようと、7時30分に登山開始。登山口には登山届けを出すところと、その横にバイオトイレがありました。白い服の修験僧の格好をした方が三人ほど登られるところでした。自分が先行して登ります。

森林地帯は風でざわめいていましたが、雨の影響はさほどありませんでした。濁河コースは標高1800mの濁河温泉から五の池小屋までは4kmの道のりで約3時間。途中1~40まで、100m毎に距離を示す札がかっていて、自分がどれくらいの位置にいるかよくわかりました。

お助け水の近くでおじいさんが岐阜県警の山岳隊(だったと思う)に付き添われながら下山するところに出くわしました。こんな天気で登ろうとする自分に引け目を感じました。「もし自分も世話になることにでもなったら…」
お助け水のところで、おじいさんがビバークしていたテントがあり、男の方が「昨日動けなくなってビバークしてたんですよ。」といっておられました。後で小屋の人に聞いたら、この方が小屋の主人さんだったそうで、親切にも、おじいさんの為にビバークの準備とかしていたみたいで、すごい方だなと思いました。

森林限界を超えたところで、子供中心の団体に出会いました。彼らはそこで引き返すと言っていましたが、自分はもう少しだし、小屋まで行ってみようと先を急ぎました。
森林を抜けると濁河の谷から吹き上げる強風と雨で体が浮きそうな状態で、かなり危険を感じました。

そんな中、下山する若い女の方とおばあさんとすれ違いました。あまりの強風でザックカバーのが外れかけてバタバタ音を立てました。その音が一瞬「崖崩れか!」と思い、ダッシュして小屋まであがりました。


10時15分に五の池小屋に到着。20分ほどして修験僧の方も到着しました。彼らは暫らくしてすぐ出て行かれました。

「今日は今年一番の悪天候ですね、一日ずっとこんな感じじゃないでしょうか…。」と小屋の女の方の話。昼前から小屋から出られない状態っていうのもなんかもの哀しい感じでしたが、どうせ家にいても食っちゃ寝ばっかりしてた事だと思えば、何もないけど2800mの小屋で一晩過ごす事の方がいくらかマシじゃんと自分に言い聞かせました。


トイレに外にでると、目の前の五の池もガスってよく見えません。「これでは、来た甲斐がない。近いうち絶対再挑戦するぞ!」と決心します。

小屋の方は若い人達ばかりで、部屋もすごく綺麗でした。寒くて眠かったので体を温めるためにしばらく眠りました。2時ごろ、同年代の男の人二人連れがびしょびしょになりながら小屋に入ってきました。


兵庫から来られたこの人達は中の湯から上がって剣が峰を回ってきたそうで、強風でものすごく怖かったということでした。剣が峰あたりはとくにさえぎるものもないし、ガイドにも強風時注意とあったので、想像するだけで恐怖です。
しばらくして田の原から登ってきた広島から18切符で来た単独男性も小屋に到着され、夕方には濁河から登ってこられた11人のパーティも到着し、悪天候にもかかわらず 小屋の中はにぎやかでした。ぬれた服を乾かすためにストーブが焚かれていて、消灯時間ギリギリまで、兵庫の人達と山の話をしました。
翌朝、昨日と同じ天候だったのでショックでしたが、小屋から30分足らずで登れる継子岳にだけは登頂して下山しようと思い、準備をして6時過ぎに出発します。継子に向かうのは自分だけでした。誰も居ない悪天候でガスった道を独り行くのはたとえ単独に慣れてきたとはいえ、不安と寂しさでいっぱいでした。
頂上近くでは、尖った岩が何本も立っているところがあって、それが遠くから見ると人のように見えて、「まさかこんな時にここで人が?」と勘違い。頂上はのっぺりしたところで、北方向にはチャオ御嶽方面に下るコースもありました。寒いし寂しかったので5分ほどで下山。小屋まで戻り、7時に下山開始。雨の中どんどん下って行きます。
何人かのパーティの方、単独の方とすれ違いました。登山道が沢のようになっていて、しっかりした木の階段も滑りやすく、慎重に下ります。
登山口からすぐのところに仙人の滝がありますが、気持ちに余裕がないせいか、行って見ようという気になれず、8時50分、登りの半分の時間で下山しました。
下山後、丁度営業時間になった町営の濁河温泉露天風呂に入りました。お湯も熱くなくてとても気持ちよく、誰も入ってこなくて独り占め。「予定どおりにはいかなかったけど、今回も無事終えたなぁ…」という充実感が沸いてきました。
五の池小屋は若い人達ばかりでやっているせいもあって、とっても親しみやすく、小屋の人達もとても親切な人達でした。雰囲気としては今まで泊まった小屋では一番良かったと思います。
小坂の街まで帰ってくると晴れてきて、「なんだ今日だったら良かったのに…」と残念でしたが、この回でますます御嶽にチャレンジしたい気持ちが募りました。


2008年11月6日木曜日

笠ヶ岳




登山シーズンもそろそろ終わり、今年登った山を振り返ります。はじめに登ったのはいきなりの笠ヶ岳。笠新道の厳しい道のりは、かつてない苦しみを味わい、日焼けでや肉刺で水ぶくれができるなど、準備知識がないせいで、ツラい経験もしましたが、御来光と絶景と、達成感で今までで最も良かった山行でした。

お盆休み前、今年の初登りを、どこにいくか思考しましたが、今年冬から来年一年丸々資格試験の勉強でほとんど無理なので、思い切ってメジャーな山に挑戦しようと思い、一応現在は岐阜県民だし、県境を除いた岐阜県最高峰の笠ヶ岳に挑戦することににしました。


8月10日、夜中3時半頃家を出て、東海北陸道を走り、新穂高の鍋平ロープウェイ駐車場に着いたのは朝6時前でした。
鍋平の駐車場にしたのは、無料駐車場がどうせいっぱいだし、500円(一回)で済むならここが一番ましかなと思ったからで、同じように、西穂以外の山に登られる人達もこの駐車場で下りのロープウェイに乗る人が大勢しました。

ちなみにかなり下ったところに無料の駐車場があるが、ロープウェイの乗り場までかなりの距離。新穂高のロープウェイ駅に下る道もどこかにあるらしいんですが、よく分からなかったのでそのまま7時始発の下りロープウェイに乗りました。
駐車場で隣になったおじさんは、鈴鹿の方で、双六に一回行ったのみで北アルプスは初心者だということでしたが、その日は槍平小屋に泊まり、翌日槍~南岳の小屋泊→キレット越えして北穂から涸沢、奥穂山荘泊→西穂というゴールデンな縦走を計画していました。

岩稜地帯は御在所で鍛えてきたらしいのですが、単独で北穂のキレットと奥穂西穂間を一気に行こうとする根性に、無謀さというか…唖然としました。単独だけど、くれぐれも独りにならないよう気をつけてと挨拶を交わし、センターに登山届けを提出してお別れしました。
ロープウェイから見上げながら眺めた笠ヶ岳が異様に高く、今日一日であんなところまで行けるんかしら…と不安な気持ちで左俣谷の林道を笠新道登山口まで向かいました。
笠新道登山口に着いたのは8時。夏場の山行としては完全に出遅れた出発ですが、なんせ一年間まったく登ってなかったので、山の感覚、緊張感が欠けていたと後々思いました。



笠新道は九十九折の急登が約4時間も続く大変厳しい道で、おまけに前夜二時間ほどの睡眠で登ろうとしていたため、1時間も経たない間に、寝不足の影響で、ものすごい息切れと、吐き気がしてきてふら付き始めました。

5mほど進むのがやっとで、ゼイゼイ息しながら休止するといった状態がづっと続き。杓子平まであと2時間とか(よく覚えてない…)札を見てからは、どうにもこうにもならなくなっていました。
ほぼ同時に出た単独のおじいさんと抜きつ抜かれつ状態だったんですが、森林地帯を抜けると強烈な日差しで登っていても眠ってしまう危ない状態が続きました。それに頻繁にくる足の痙攣。ツッた状態で無理やり歩くのが非常に辛かったです。

「日陰…。日陰がほしい…。」と切に思いながら、降りてくる人に「とてもキツイです…。杓子平まであとどれくらいですか?」と訊ねる一方でした。「一緒に下りる?」とも冗談まじりで言われたり…。時計ばかりを見て予定時刻がどんどん過ぎていく為に、焦りもあって、正直無理かも…下山しようかとも思い始めました。天候不良以外で、体力のなさで、下山しようと頭によぎったのは初めてでした。

ようやく木陰を見つけて、ザックを下ろし、そのまま30分ほど眠ってしまいました。少し体力が回復したところで、予備の為に持ってきた栄養ドリンクを飲んでだいぶ回復。その後は苦しみながらも休止回数が減り、同行してたおじいさんと少し距離ができました。

登山道の上を見上げた時の稜線が手に届きそうに近くなってきた頃、下ってきた男性に、「杓子平はもうすぐそこですよ。」と言われて、「やっとだ…。」と安堵。程なくして開けた杓子平にでました。時刻は1時20分。5時間20分かかって杓子平に到着。

杓子から見えた笠ヶ岳がまた遠いこと…。山荘は笠ヶ岳のすぐ脇なので、夕方までに行けるのか不安になりました。何人か、同じように稜線までの登りを行く人がいたので、自分も体力が回復次第、大休止はなしで、抜戸岳の稜線への道を急ぎました。
それにしても、ガイドでは1時間20分とあるこの稜線までの登りも、非常に辛くて少し登って休憩の繰返し。さすがに他の人達との差もあまりつかなかったので、他の人も同じように苦しかったんだろうなと思います。
ようやくピークを過ぎて、午後3時20分抜戸岳分岐へ。抜戸岳はすぐそこでしたが、体力が危険状態なので、急いで笠までの稜線を行きました。
それまでとは変わっての稜線歩きは景色は良かったんですが、疲れが足にきて、少しの登りもキツくてザックを下ろしてしまう状態。
なんとか笠ヶ岳のテント場前の登りに差し掛かり、一気にあがってテントの間を通って、雪渓を渡り、どうにか笠ヶ岳山荘へ。午後4時30分着でした。

着いてホッとしたのか、本当に疲れきっていて、早く明日への全ての準備を済ませて眠りに就きたいと思いました。ついてほっとする間にすぐ食事の時間で、翌朝の一通りの準備が出来たところで、外に出ると日が暮れていくところで、ここではじめて写真を撮りました。





正面の穂高連峰は雲で見えず、登ってきた稜線にも雲がかかります。笠新道で一緒に登っていたおじいさんがまだ到着していなかったので心配しましたが、山荘のしたで座っているのを発見。食事もなんとか用意してもらっていたのでほっとしました。

その後布団に横になった後は、爆睡。朝方御来光を見る人達がごそごそし始めたので目を覚ますまで熟睡しました。
この日の朝は雲もありましたが、槍ヶ岳の左側から昇る朝日は昨日の疲れを一掃するすばらしさでした。朝食を頂いた後、6時に頂上に向かって出発。10分ほどで着きます。




御嶽、乗鞍、焼岳、白山、それに黒部五郎や薬師、立山、剣も見えました。クリヤ谷に下っていく人もいました。



6時30分下山開始。新穂高ロープウェイの上り最終に間に合うように帰らないといけないので、笠新道をまた下るか迷いましたが、行きの苦労を思い出したくないし、辛かったら最悪タクシーも考えて、鏡平回りに決めました。


稜線では何度も後を振り返って笠ヶ岳を眺めました。秩父平までは順調に下って、雪渓のところで少し休憩。その後大ノマ岳への登りがあり、昨日の激務がよみがえります。それに、日焼け止めを塗っていなかったために、両腕と首が真っ赤。ザックを下ろす時に擦って痛かったです。
 
苦しいなりも予定通りに大ノマ岳に到着し、頂上で少し休憩。その後、大ノマ乗越への下りの途中で雷鳥発見。全然逃げないので写真を撮りまくりました。



実はそれまで地図を見てなかった為に、大ノマ乗越を双六との分岐と勘違いしてて、廃道になった道を下ろうとしていましたが、後から来た青年に、「分岐はこの登りを越えて弓折岳を越して下ったところですよ。」と言ってくれました。「うぇ。また登り…」とウンザリでしたが、頑張るしかないので、エッチらオッチら登りました。

11時過ぎに弓折岳に到着。のっぺりした頂上で雪渓が残っていました。間もなく下ったところに人がにぎわう分岐があり、鏡平山荘を眼下に見ながら下っていきます。12時過ぎに、鏡平山荘に到着。ここでも人が大勢でした。テラスで昼食をとって、12時半に小池新道を下ります。




足の爪先がひどく痛み出し、石を敷き詰めてある道がかなりつらくなってきました。できるだけ爪先に体重をかけないように、だけど焦る気持ちを抑えられず、どんどん下っていきました。午後2時半に、砂防工事をしている左俣谷の林道に出ました。

小池新道の登山口からわさび平小屋は20分ほどで着き、そこで休憩。トマトやキュウリが冷たい水に浸されて売っていました。喉が渇いていたので炭酸ソーダを買いました。荷物を出来るだけ軽くして要らなくなった水を捨てて、食料も食べ尽くして、3時過ぎに出発。

林道を歩いていると、右足裏がやけに傷んできて、始めは石コロが入って踏んでいるんだと思い、靴を脱いで振るい落としてみたけど石は出てこなく、?と思いながら痛さに耐えながら歩きました。後で見てみるとでっかい肉刺ができていました。

林道の車止めを通過し、ショートカットでロープウェイ乗り場に着いたのが3時40分。ものすごい達成感で、久々登山の魅力が蘇りました。足の肉刺や日焼けでボロボロになりながらも、二日目は体調も回復して大満足で行程を終えました。